今度はカナダへ

60代前半。女。やってみたいこといっぱいあり~🎵なんです。 体験したことの備忘録的ブログです。

お遍路体験してみよっと!(40日目)

5月4日。86番志度寺、87番長尾寺、88番大窪寺まで。
88個所巡礼が終わりに近づいてきた。
うれしいような、もう終わってしまうのかという気持ちもあるし、まだ歩ける、まだ歩いていたいような気もする。

野宿した房前公園から志度寺までは遠くない。火のついてるロウソクがないのでまだお参りに誰も来てないようだ。志度寺にはお花や木がたくさんあり植物園のようだ。お花がいっぱいあるのはきれいだし、癒やされる。

長尾寺へは国道をまっすぐに行けばよい。
着くと、車でへんろしている人たちが多い。リュックをおろしたいがベンチがない。休憩所はあるが、鍵がかかっていて中に入れない。
ここで坂東駅の壁に貼ってあった言葉を知ってたなら多少の不満を感じなかったかもしれない。
『無くて当たり前。有って有り難し』
f:id:yonchan324:20190525154156j:plain:h120志度寺
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            長尾寺五重塔
最後の大窪寺。また山道を行く。女体山を登って行く途中に道の駅ながおとおへんろ交流サロンがある。交流サロンで四国88ヶ所歩き遍路約1200㎞を完歩した証明書を発行していただいた。
スイスから来た女性もいて証明書をもらっていた。
今朝志度寺の先で自分たちを追い抜いて行った歩きの速い女性も来ていてスイスの女性と英語で話していた。この速い女性とは同じ宿でまた会った。彼女、群馬大学医学部で総合医療を担当する女医さんだった😨

女体山への道はよかったが、急坂。エッホ!エッホ!ヨイショ!ヨイショ!と言いながら一歩一歩登る。
そんなところを一台のマウンテンバイクのおじさんが下りてきて止まった。お接待していいですかと言いながらゼリー状の飲み物を差し出された。うれしい!有り難い!
この坂を歩くのでさえたいへんなのにマウンテンバイクで走れるなんて。お年を聞くと71才だそうだ。72の連れもすごいなと感心している。
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遍路道に入り女体山頂上に出る。大窪寺はここを下りて行った山の中腹にある。
藤棚の白い藤の花が満開。
小学生くらいのお子さん二人をつれたご家族がみんなで揃ってお経本も見ずに般若心経をあげている。毎日唱えて暗記してるのだろうか。
順打ちで最後となったこのお寺にお遍路さんが置いていったお杖がたくさん納められていた。

コミュニティーバスで帰れば駅にも行けて翌日は自宅となるのだが、ゴールデンウイークで混むし料金も高いので1番まで戻ることにしている。なので、大窪寺近くの八十窪さんに泊まる。
こちらの洗濯場であの女医さんに会った。
夕飯にはお祝いの意味で赤飯、緑の青豆が散らしてあり見た目もきれいな赤飯。天ぷらに、めで鯛のお刺身、細く末長く続くようにそうめんのお吸い物や煮物、酢の物、切り干し大根などのご馳走をいただいた。

八十窪さんの大女将さん?のお話を聞いた。戦争が終わった3年後の18才の時、いわゆる口減らしで親に遍路に出されたそうだ。藁を抱えてわらじを編んで歩いていく。食べるものがなくなると托鉢をして行く。戦争直後だからどこの家でも食べものがあるわけではない。自分たちが食べるだけでもたいへんなのに遍路にやる食べものなんかないと言われたそうだ。八十窪のおばあちゃんは木の実でも草でも何でも食べられるものは食べたと言っていた。
今のようにコンビニも休憩場所もなく野宿するしかなかっただろう。同じ歩き遍路でも今は恵まれていると知った。